定款

宮城県芸術協会について


宮城県芸術協会設立までの経緯
 宮城県芸術協会が設立されたのは、昭和39年5月9日である。当時すでに東北5県では、年1回の芸術祭が開催されていた。遅れを取っていた宮城県でも、県内の文化人有志が、芸術祭を開催したいとの強い願望を持ち、その主催団体を結成しようとしていた。
   昭和38年12月11日、門伝勝太郎宮城県議会議長が中心となって、県下の文化人を招いて懇談会が開催された。出席者は、亘理正彦県議会副議長、桜井亮英県会議員、杉村惇(洋画家)、渋谷栄太郎(洋画家)、沼倉正見(洋画家)、中村爽歩(日本画家)、宇野松仙(日本画家)、海鋒義美(音楽家)、松良宜三(音楽家)、宮城正俊(美術評論家)、安倍郁二(工芸指導所長)、戸沢大作(仙台市博物館長)、佐々久(宮城県図書館長)、杉村彩雨(俳人)、武藤守(河北新報編集局次長)で、翌年7月完成予定の県民会館の運営にあたり、芸術、文化の振興策を県政に反映したいという意図があった。
   この懇談会をきっかけとして、有井凌雲(書家)、宇野松仙、菅野廉(洋画家)、海鋒義美、渋谷栄太郎、杉村惇、戸沢大作、中村爽歩、沼倉正見、松良宜三、松川金七(国見台病院院長)、杉村彩雨、宮城正俊の13人が「宮城県芸術祭」実施期成同盟会を結成、門伝議長あて「宮城県芸術祭実施に関する請願書」を提出した。
   その後、昭和39年2月19日、第2回芸術文化懇談会が宮城県議会委員会室で三浦義男知事の出席の下で開かれ、ようやく県として芸術祭実施を検討するまで事態が進展した。5月9日、第3回懇談会が県北の花山ダム湖畔で開かれ、門伝県議会議長から「有志により文化協会的なものを発足させて、それによって運営してはどうか」との提議があり、10人の出席者によってこの日の会合を新団体の発足・母体とすることが決定した。ここに「宮城県芸術協会」が誕生した。そして、記念すべき第1回宮城県芸術祭が、その翌年の11月「文化の日」に開幕した。


社団法人の設立
 芸協設立間もなくの昭和43年に、理事長になった宮城正俊によって社団法人化の課題が指摘されていた。
   その後、平成3年3月18日、各部門から1~3名委員を選出、企画局委員5名が加わり第1回「法人化検討委員会」が開催され、7月20日の理事会で法人化へ実質的なスタートを切った。8月3日に第1回「法人設立準備委員会」開催。数度の委員会開催を経て平成4年2月15日、宮城県美術館で法人設立総会を開催、全員一致の承認を得た。同年4月1日に許可がなされ「社団法人宮城県芸術協会」が発足した。

社団法人設立記念式典
 平成4年5月23日、「社団法人宮城県芸術協会」設立を記念して、法人設立記念式典が勝山館で開催された。11月28日には「社団法人設立記念みちのく文化フォーラム=東北からの発信」が開かれた。基調講演は奈良埋蔵文化財センター長の佐原真氏が行い、パネルディスカッションは小野昌和氏(河北新報社学芸部長)をコーディネーターとして進められ、パネラーとして佐原氏のほか、本間正義氏(元大阪国際美術館館長)、道傳愛子氏(NHKアナウンサー)藤崎三郎助氏(仙台経済同友会幹事)の各氏が加わり、芸術や文化について熱い討論がくり広げられた。


公益社団法人へ移行
 平成20年に施行された公益法人制度の抜本的変更により当協会でもその対応がせまられた。当協会では平成21年に「公益社団法人等検討委員会」を発足させ、「一般」か「公益」いずれの法人となるのか、その検討を重ね、平成22年に通常総会において公益法人への移行を目指すことを決議した。平成22年には主に常任理事等の役員で構成する「公益社団法人移行準備委員会」を設置した。準備委員会を中心に、定款等の移行要件について協会内で協議し、平成24年8月末に宮城県に移行申請書を提出。12月に公益社団法人移行への認定の答申が宮城県よりあり、平成25年3月25日付に移行認定書が正式に発行された。その後、登記手続き等を行い、平成25年4月1日付で新たに「公益社団法人宮城県芸術協会」となった。

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